第2回 本質(根)と基本(幹)を極める

道場における稽古の目標は自身の心(気)と体の自然の在りようを追求・体得することであり、心身一如を実現するところにあります。

今回は本質と基本の両観点から解説します。
通常分けて考える方は少ないと思いますので、「何が違うの」と疑問符?が頭に浮かぶでしょう。
武道におきましては明確に分けて指導します。
道場では、武道を通じて実生活や仕事に生かせる事を教えています。武道そのものを覚えるのではなく、武道のエッセンスを利用して必要な事の学びを重視しています。

F1(エフ・ワン 世界最高峰のカーレース)の技術者が、通常の乗用車では10年かけないと出ないような車の問題が、F1であればわずか1周で現れる。そのためF1で得たノウハウを乗用車にフィードバックできることが大きいと言っていました。

道場における武道も同じ考えです。
日常では現れにくい、また10年かけて気づくような事が、武道のエッセンスを利用することで、わずかな期間で気づくことができます。
通常では分けにくい本質と基本も武道を通じて何かを習得しようとしたときに明確に分ける必要が出てきます。
本質が深い人は「善い人」

木(根・幹・枝葉・花・実)をイメージして下さい。
この木の各パーツのつながりを人間の営みに置き換えて見ます。簡単に置き換えてみますと、

◎根=本質(道徳心など、人の根源的心根)
◎幹=基本(感性・関心に基づく人の在りよう)
◎枝葉=技術(芸事・料理などの専門のやり方)
◎花=結果、実=継承

となります。
ここでは本質と基本について簡単に説明します。
本質は、その人の心根ですから簡単に言えば「善い人」「悪い人」となります。愛情の深い・浅い、信頼できる・できない、公共心有・無など、まさに人の根幹です。この心を良く(根を深く)育てることが稽古の根幹であることは間違いありません。
道場訓や指導者の生き様(師範)を通じて指導したいところです。
基本が身についている人は「センスのいい人」

次に基本について簡単に説明します。
「あの人はいい人なんだけど・・・」「悪気はないんだけど・・・」とはよく聞く台詞です。「いい人なのに?」となぜ疑問符がついてしまうのでしょう。
実は、本質的に整っていても基本ができていないからなのです。基本とは感性(気づき)に基づく感知能力の事です。
例えば、場にそぐわず不必要に大きな声で話す人は「悪い人」ではなく、自分の声や場に対する感知能力が乏しいのです。
子供も年齢に比して場が読めず、不適格な態度をとってしまうのも感知能力が育っていないからなのです。その行動が、悪意を持ってなのか、感知能力不足なのかは指導上見分ける必要があります。

①自分自身を観る。
②相手との関係を観る。(注:相手がどう思っているかではない)
③流れ(時間)・場(空間)を観る。(相手を含む)

ことが大切です。
特にその瞬間を切り取って見るのではなく流れを観る事に感性を開くと良いです。
センスの悪い人は、距離感で関係をみがちですが、本来は時間共有観が大切です。
視覚・聴覚・味覚などに偏らず、全ての感性・感知能力を高めた人はセンスが良い人となります。

仮に相手に思いやりを持っても、センスが悪ければ伝わらないどころか、相手を不快にしかねません。
逆に悪人でもセンスがよければ、人をだましやすいので、だまされないように要注意です。
だまされないためにも、こちら側のセンスが必要になりますね。
分野にかかわらず、この本質と基本を身につける事が大切です。

もちろん稽古可能です。
稽古を通じて、この両側面を習得することができたら素晴らしい事と思います。
しかし、それ以上に親・先生などの大人が愛情を持ってセンス良く生きることができていれば子供は自然と学んでいくことができます。
本質と基本を極める

子供をどれほど愛していた(本質)としても、センス(基本)が悪ければ良いものは伝わりません。

「これほど言っても分からないの」
「いいかげんにしなさい」
「何度いっても分からないから心を鬼にして○○しているの」
※○○=怒る、怒鳴る、叩く、罰するなど

愛していれば何をしてもいいという道理はありません。
程度の問題と考える方もいらっしゃいますが、上記のような強制は全く必要ありません。
ましてや子供のよな弱者にとっては程度にかかわらず恐怖でしかありません。
そのため、そのように接しられる子供は遮断を優先的に身につけてしまいます。
そのようなことをしなくとも愛情を持ってセンスよく接すれば人は成長します。

私は道場を通じてたくさんの子供たちに出会わせていただきました。
私は、我が子を含めて怒ったことも怒鳴ったことも叩いたことも一度もありません。
そのような事をしなくても子供は見事に成長します。
むしろ、しないことで良い成長が促されます。

自分のセンスの悪さや為人(ひととなり)の問題を変えない限り、いかなる手段を持ってしても本来伝えるべきことは伝わりません。
手段・メソッド・マニュアルで人は動きません。
伝わるのは、強要された力・形などの悪い印象だけです。
自分自身の在りようを変えないかぎり大切なことは何も伝わっていないのです。

歌に例えますと、音痴の人が「熱い思い」で歌っているような感じになります。
音痴を棚に上げて、聴いている人になぜ感動しないのかと強要している図になります。

これは決して教育上だけの問題ではなくあらゆる関係で大切なことです。
愛情・信頼・尊敬などの美しさ(本質)を内包しつつ、穏やかで深みをもち感化できる(基本)人としての在りようを身につけることは必須です。
接し方・話し方ではなく在りようです。

先を行くものほどこのような姿を持つことが何よりの教育となるでしょう。