中心軸をしっかり持つ

森会長語録

極真会館手塚グループは、手塚暢会長というしっかりとした中心軸を頂いています。
私達は、このグループに中心軸は無くてはならないという事を切実に感じています。
会長の思想や主義を中心として維持することを、私達は願っているのです。
それ故に、中心と一緒に共に歩めば、一つの目的に向かっていく事は容易なのです。

盤石な中心軸を持っていることで、私達は、他に飲み込まれることは無いのです。
このグループは、不変な中心軸を持つことで、一つの基準として連結されるのです。
広く世界に至るまで、中心軸に連結されるので、形態と現象は違っても原則一致するのです。
一致した立場に置かれることで、このグループの存在は不変なものとして存在するのです。

ところで、道場で活動するという事は問題点も様々起こってきます。
それでも、中心軸があることによって、問題の解決点を見つけることができるのです。
この手塚グループは、手塚会長の理念が反映される団体になるという事です。
不変な中心軸は、不変な基盤を備えて、確立された位置を掴むことができるというものです。

ただ単に、手塚グループであることを理解しているというだけではいけないのです。
道場生各々が、自分の判断で掴み取るという作業は必要になるのです。
自分自身が納得して、「良し」と思わなければ、何の力にもならないのです。
ただ手塚グループに所属して、「押忍」という意識の従順だけでは、いずれメッキが剥げるというものです。

さて、青春時代から極真会館に携わったものとして考えることがあるのです。
大山総裁が存命中は、中心軸は強固なものとして顕現して永遠に続くように思われました。
しかし、総裁が死去されてからは、その中心軸では世界が動かなくなったのです。
かえって、苦痛な環境が今まで影を落としてきているのです。

不安と恐怖が伴って、分派が起きたという過去は否定できないのです。
もし、しっかり極真会館として継承がなされていたならば、楽しくもある環境に入っていたのです。
また、限りなく自由な理想的極真として、世界に広がっていたはずです。
正当な継承者が、あらゆる号令し、天下に名声が広がったのではないかと思うのです。

間違った極真の継承から、内部からも批判の対象となり、分裂を余儀なくされたのです。
その中で、手塚会長から、徹底哲尾変わることのない「家族」という理念を頂いたのです。
一つの過程的な発想は一時的ですが、「家族」は普遍性があるのです。
「家族」という理念は、完全無欠な中心軸に相応しいのです。

別に天下に自慢するほどの事ではないのですが、実にスタンダードなのです。
この「家族」に関しては、極真の修行をしていて、自らの心が揺さぶられるのです。
明確な一つの核心をついているゆえに、一生の間、修行を続ける気持ちになるのです。
「家族」は、極真の修行をして何になるのかという事に関しての答えなのです。

そのような事で、この手塚グループは新しい時代の武道世界を生み出すのに相応しいのです。
それだけに、この理念に染まり、思想に染まり、主義に染まっていくべきです。
自らの肉体を酷使しながら、全身の細胞を動員して果たそうとする夢を抱くのです。
有難いことに、前面に「家族」を主張する武道団体はないのです。

また、指導者も数少ないのです。
武道という技と技術は教えることができますが、「家族」としての価値は見出さないのです。
「家族」主義からは、パワハラやセクハラは起こりにくいのです。
実に、この空手道が、誰の為なのかという事がはっきりするわけです。

「家族」の為の修練であるとするならば、空手修行も意義あることになるのです。
空手修行が、家族の為に肥料になるという事でもあるのです。
確かに、「家族」というインパクトは、小さいように思えるのですが、人間の基本なのです。
それだけでなく、時代を通じても揺るがないのです。

色々と問題があっても、また失敗したかのように見えても、歴史は評価すると思うのです。
それゆえに、誰のために極真空手の修行をするかというならば、「家族」の為なのです。
そのような意識であるとするならば、 この手塚グループの中心軸は変わらないのです。
それだけに、私は誰よりも手塚グループを愛するのです。

極真会館 手塚グループ 会長 森義道