極真空手における昇級や昇段の意味

森会長語録

真空手に入門する時は、無級である白帯から出発します。
真っ白な帯に、どのような修行のドラマを描くかということになるわけです。
私自身、柔道の二段の腕前でしたので、極真に入門して白帯をつけるのは抵抗がありました。
柔道と空手は同じ武道という意識が強かったのです。

実際に、総本部で黒帯を相手に組手をしたのです。
最初は、柔道は打撃がないので、その攻撃に不慣れという事もあって戸惑っていました。
三か月も過ぎると、極真空手の基本が分かってきましたので、ある程度の組手になりました。
私としては、柔道の有段者という事もあって、相手が足を上げて蹴りあがる時に、合わせるように足払いで転がしてしまうのです。

もし、柔道のように投げがあるとしたならば、道着を掴んで投げ飛ばしてしまいそうでした。
実際に、横暴な黒帯の先輩がいて、あまりにも無茶に攻撃をしてくるので、内股で投げ飛ばしてしまいました。
腰から床に叩きのめされて、うなっていました。
気持は、「ざまあみろ」という気持ちが優先してしまいました。

当時、極真空手をする道場生は、体重が軽く、小柄な人が多かったのです。
それから、その先輩を本部道場で見かけることが無かったのです。
柔道も空手も同じ武道に違いないという意識が強かったのです。
黒帯を投げて腰を打って立ち上がらなくなったという事が、うわさになってしまいました。

さて、十代で総本部の門を叩いたときは、強がっていたせいか先輩を敵に回したのです。
もちろん、真剣な道場での組手になって、打ち身、捻挫はもとより、骨折するようになったのです。
それで、私も本部に寄り付かなくなり、放浪した経験を持っているのです。
帯は白帯で、柔道のメンツもありましたので、昇級するという意識がなかったわけです。

「ただ強ければ良いのではないか」という気持ちが優先したわけです。
それから、昇級を目指すには、五年の期間かかりました。
昇級・昇段は、大山総裁に近づいていくという事と、真剣に修行をするという事を意識したのです。
そして、本物の極真空手の神髄を究めるというところに至ったという事です。
やはり、個性が強かったので、受け入れるには時間がかかったようです。
また、それなりに柔道に対する未練も多かったという事です。

二十代半ばを過ぎてから、柔道と空手の壁と関係なく、本気で極真の道を究めようとしたのです。
このような悟りを開くまで、五年の歳月を要してしまったのでした。
つまり、極真空手と関係を結ぶことができる、いい加減でない修行の連結点を持つに至ったのです。
そして、修行の場がとてつもなく偉大な事のように、身をもって感じ取れたのです。

それからというもの、昇級で必要な内容を何千回も繰り返したのでした。
このような姿勢から、新しい未来が出発したという事は言うまでもありませんでした。
大山総裁の偉大な業績を継承するという気持ちが、満ち溢れたという事になったのです。
その事を最も大切にしながら、先輩がどうのこうのという事はなくなったのでした。

ところで、その頃から、この昇級や昇段の意味を自分なりに追及したのでした。
結論、極真空手の伝統と大山総裁の培ってきた内容を継承するという結論を得たのです。
この姿勢が、私にとって最大最高の考え方として自分に納得させたのです。
柔道で体は作っていましたので、内容が問題であると意識をしたのです。

完全に極真空手の継承者としての意識が昇級・昇段をするごとに自覚したのです。
極真空手に対して、一生背負っていくという気構えができたということになったのです。
また、この極真空手を背負っていくという気構えが、昇段するごとに引き上がったのです。
そうしていくうちに、極真空手の全権を与えて頂くような立場にまで上り詰めたのです。

日々極真の門を開いて、極真に多くの道場生を招いて成長させる日々が始まったのです。
そんなことができたのも、昇級・昇段を意識して、そのプロセスを踏んだからという事です。
私が、今から極真を出発するという決意表明のようなものでした。
それは、今となれば、私にとっては、宝石にも劣らない輝く宝物になっているのです。

ですから、今の立場としては、決して極真を汚さないという事です。
私の姿勢で、極真の伝統を崩したくはないという事です。
意味も分からずに、昇級・昇段していると思うですが、このような深い意味合いがあるのです。
後継者になるという事は、昇級・昇段のプロセスを通じて、成長するという事なのです。