この道に誇りを持つ

森会長語録

稽古が始まると、安易で怠け者の自分を、もう誤魔化すことができなくなります。
一生懸命に修行を積み重ねる空間と時間になるのです。
指導者も道場生も稽古でもって、武道を通じて、人の道を究めようとするのです。
私自身、その稽古を、もう四十年以上続けているですから、誇りを持てるというものです。

この稽古で何をするのかというならば、精神と肉体を鍛えるという事になります。
逆説的な表現ですが、稽古で死ぬような覚悟を持つという事で、生かされるのです。
というのも、自分自身の弱い心と体はいったん死すべきという事です。
そうして、生かされる道を、道場の稽古を通じて探し求めるという事です。

その稽古そのものの正体はというならば、武道の原点であり、創始者の姿が見え隠れするのです。
数年稽古をすると、かつての弱弱しい自分が、もう心身ともに充実するようになるのです。
それは、世界をベースとしている私達は、人種を越えるし、民族も超えてしまうのです。
そのような影響力と改革が、稽古をしている本人にもたらせるのです。

いつの間にか、道場で稽古をしたことが、人生のあらゆる現象に対してコントロールするに至るのです。
稽古の時間は、言葉だけの事ではないのです。
汗を流し、時間をかけて身に着けることができる、肉体の鎧と精神に特化していくというものです。
そのようにしていくうちに、将来の自分自身の理想像に近づき、希望を持つことができ、誇りとなるのです。

だからといって、万民が空手をすればいいという事を言っているのではないのです。
あくまでも、登山口のような入り口を、道場生がこの極真に見出すという前提なのです。
そこから、新しい未来の出発点が見いだされるという自覚をするのです。
若かりし青春時代に、極真空手は、私の新しい未来の出発点になりました。

というのも、私が何を願ったかというならば、自分自身の正しく表現することなのです。
要するに、個人としてしっかりした人格を身に着けようとするわけです。
そうすることによって、どんな環境でも越えていく事ができる能力が身に着くというものです。
時代の波に飲み込まれるような貧弱な個人にはならないという覚悟ができるのです。

空手道は、技を直接自分の目で確かめて、感覚をもって真摯に感じながら歩むことができるというものです。
そのような経験から、真実に出会うということが可能になるというものです。
本来の自分の姿で日々を過ごせるということが、気持ちが良いというのです。
誰も認めなくても、栄光の価値を総合したレベルとして、体験できるというものです。

人生の経験を重ねてみて、極真という指針を持てたという事は有難く思うのです。
要するに物差しのような人生の原型になったのです。
それだけに、この極真の門を叩く入門者に対して、自信をもって示唆することができるのです。

今日は、雨の一日になりました。
何か熱中しようと取り組むのですが、中途半端になってしまいます。
四捨五入すると、極真空手のイメージで過ごすということになります。
好きこそということもありますが、他の趣味は何とも空しく感じてしまいます。

極端に表現すると、成すことすべてが消耗するだけという意識が強いようです。
何に関しても中途半端なのですが、極真空手だけに関しては真摯に向き合っているのです。
そのような意味では、空手バカということも言えそうです。
空手を中心に考えると、気持ちが落ち着くようです。
空手をメインにおいて、あらゆることを考えると、時間が経過するのも忘れてしまいます

森 義道 極真空手八段
極真会館手塚グループ会長
極真会館宮城県本部長
故大山総裁存命中に数々の選手権大会に出場、空手道を極めんと志す。
その後、青少年教育をはじめとする社会貢献を目指し、法務大臣より保護司の委嘱を受け、さらに少年警察補導委員にも推挙任命される。これまでの功績を鑑み、手塚文子代表の推薦を受け全国本部長の承認を経て2017年12月9日に新会長に任命される。