第1回武道を通じての成長 

道場訓

教育の根本的な事柄について説明します。
成長には様々な道がありますが、心身の本質的教育には「武道」が最適であると思います。
特に「心」はみえませんので、その成長のエビデンス(証拠)がとれません。
そのため、「自分は強くなった」「自分はやさしい」と思っていても本当にそうなのか確証がありません。
いざというときに「心」は現れやすいですが、そのときに思っていた自分と違っていても時すでに遅しです。

空手を含む武道やスポーツでよく誤解されやすいのが、ある一定の限界を超えて厳しい練習をすることで、おのずと精神力が高まるという考え方です。
厳しい練習や形式上の礼儀作法を教えても、それだけで精神的な成長は望めません。
栄光や身体的に強さのみをめざし大会などで勝つことが目的となってしまい、かえって心を損なう可能性があります。
優勝できたのは精神的に向上できたからという人も見受けますが、それは栄誉などを得るための執念が強くなっただけかもしれません。

真の武道はこのみえない心を浮き彫りにし、教育指導できる素材を持っています。

最も大切なことは、豊かな心=愛情と研ぎ澄まされた知性です。
知性とは感性や理性のことで、知識や概念などの知能ではありません。
現代の教育では、ほとんど知能・技術指導に傾倒し本質にかけています。
教育の本質は心と知性を育むことです。

■武道と格闘技の違い

武道と格闘技はよく混同されがちですが、この両者の違いからお話しします。

格闘技は一定の競技ルールの中で相手に勝つ技術の習得が中心となります。
現代武道は日常という比較的ルールの定かではない中で、どういう姿勢や立ち居振る舞いをすることが自分を失わず相手と協調できるかを稽古し学ぶものとなります。

中には手足や口などの様々な手段を使って、精神的・肉体的に攻撃してくるやっかいな者もいますので、その対抗策を習得することももちろん必要です。
攻撃技を学ぶ(空手)のも、最終的には相手の攻撃技を封じる(護身術)ための最初のステップです。
※これは決して両者の優劣ではなく、目的の違いに過ぎません。

■武道を通じての成長

武道の武とは、二(人)の戈を止めると書きますが、これは争いを収め調和を目指す漢字です。元々の中国の語源は違いますが、そう解釈し後生に伝えた日本人の感覚は素晴らしいと思います。

従いまして道場におきましては、自分自身をしっかりと確立し、決して相手や環境に責任転嫁せず、あらゆる調和を築ける人間教育を目指しています。
「真のこころ・美しい言葉・正しい姿勢」です。
○「心」が変われば「身体(姿勢)」が変わる
○「心身」が変われば「技(言葉・行動)」が変わる
○「技」が変われば「結果」が変わる
○すなわち「心」が変われば「結果」が変わる

すべては「心」のあり方次第というのが心技体の一致の極意であり、武道では、それ(心のあり方・基本・術理)が正しいかを身体を通して検証することができるのがすばらしいところです。

杉原政則 極真空手三段
極真会館グループ事務局長
極真会館東京本部長
多数の武道経験を持ち、文武両道の観点から学習道場も主催。武道を通じての青少年教育を研究し、地元小学校で定例で「空手通信」を発行。また経済分野においても武道のコラムを執筆中。