第1回 関心を持って干渉せず

 現代の子供たちの教育成長について武道的視点から考えてみたいと思います。
人は子供のみならず、一人一人に生命の輝きがあり天才的な可能性を間違いなく持っています。
教育の基本は、生命の輝きを感じさせ、その天才性を導き出すことにあります。

「関心を持って干渉せず」

これが、武道にかかわらずの教育の基本的考えかたです。

これに反して

○関心はあるが、ついつい干渉してしまう。(余計なお世話)
○干渉はしないが、関心も無い。(放置)
○結果(点数や評価など)に関心が強く、過程に干渉する。(成長阻害)

のような接し方をすれば子供はのびのびと成長できません。

関心の薄さや干渉の強さで結果的に強制性・支配性が強まってしまいます。
子供に対して強要・支配性が強い人ほど自覚が薄い傾向にあるようです。
よもや誰よりも子供を愛している自分に、子供に対する支配性があるとは自覚しづらいことでしょう。
「親(誰に)にむかって・・」「子供のくせに・・」「生意気な・・」とは相手を尊重せす見下していますから、これも支配性が言わせる言葉です。
この状態は道場で1回稽古に参加してもらえばすぐにわかるほど子供の状態や行動に現れています。

「ドラえもん」に登場する野比のび太くん。のびのびと育ってほしいとの願いから「のび太」と名付けられました。しかしママの野比玉子さんは子供の結果(成績・家事手伝い・宿題など)や態度にしか関心がなく、過度に干渉(※連載当初は甘かった)します。パパの野比のび助さんは、あまりのび太に関心がなく、干渉もしません。そしてよくあるパターンで二人とものび太くんの行方不明などがあると、とたんにやさしくなります。 結果、のび太くんはのびのびと成長できず、やる気を失い成人後もうまくいかず子孫に迷惑をかけているため未来から「ドラえもん」が世話役として派遣されます。

以前道場に、父親のDVで過呼吸になっていた子供が入門してきました。稽古が始まるやいなや3分で過呼吸になってしまい参加できません。走るとバランスがとれず5歩くらいで転んでしまいました。これは顕著な例ですが、少なからず自分の接し方(本当は親の在りよう)が影響していることに気づきたいものです。幼少期における親は、歴史上のいかなる独裁者より子供に対して権威・権力があることの自覚が必要です。
※紆余曲折ありましたが上記の子供は現在健やかに成長しています。

幼少期に関心を持たれなかったり、親や教師などにわずかでも干渉・強要・支配的に接しられますと、人はその可能性をしぼませてしまいます。

体は
呼吸が浅く穏やかさを失い、緩めない体は、懲りやすく、怪我や病気の確立を上げてしまいます。
心は
競争意識は高くとも成長意欲が乏しく、気のつかないセンスの悪い状態になります。
道徳心は低く、悪いことを悔いるよりも見つかったことを後悔します。

本来、教育は人としての在りようから学ぶべきなのですが、現代教育は知識・技術などの知能教育がほとんどのため学ぶ機会がありません。
人としての在りようという表現すらピンときにくいかも知れません。
そのため、子供の成長にとって本質的に何が大切であるのかをあまり知らずに、あるいは整理できずにいる方が多ようにみうけられます。

今号では第一回目として、人の在りようのなかでも「意識と無意識」について書きたいと思います。ご存じのように成長期の日常の積み重ねが無意識(潜在意識)となっており、人生に深く関わっているからです。

■意識と無意識

人は、生活やコミュニケーション、行動などをするときに「意識的」に行う部分と「無意識」に行う部分とがあります。
この両者を歩くことで例えてみます。

歩きは、足だけではなく全身のあらゆる部分が動きます。前に進みつつ、転ばないために視覚・聴覚・足裏感覚などの情報を感知し絶妙にコントロールしています。心拍数も調整されています。
これら全てを意識でコントロールはできません。
そのほとんどは無意識に行われています。

一つの行動に対して、意識4~5%・無意識95~96%と言われています。そのため、その瞬間瞬間をいかに意識しても無意識の方が圧倒的に作用します。
わかりやすい例で言えば、人前に出たときに緊張するまいという意識を持っても、無意識部分に緊張があれば震えや汗は止まりません。

日頃、生活音の大きい人は、その動作が身についていますから、何かの行事で突然静かに振る舞おうと思っても無理が生じます。

武道では顕著に表れます、特に合気道などの接触技になりますと、意識的に技を繰り出しても全くかかりません。できるだけ「やさしく」「丁寧」に接触しなければ相手の抵抗を引き出しどんな技も力づくとなり意味がありません。しかし、日頃人に対して「丁寧」に接していない人は無意識下では「雑」ですから、いざ技をかける時に意識の「丁寧に」よりも無意識下の「雑」が勝ってしまい相手の抵抗を生んでしまいます。
普段、営業上・表面上「丁寧」にしているつもりでも無意識下の「雑さ」は武道ではごまかせません。
これが、他の武道に比して合気道のむずかしい所以でもあります。
大人同士の接触(仕事・会話など)ではお互いにその「雑さ」を許容(目をつぶって)いるのでわかりにくいかも知れませんが結果多大なストレスになります。少なくとも健やかではありませんね。ちなみに本来子供は許容しません。

このように全てを意識して行うことは不可能ですし、本人の自覚とは別に、意識はその行動のほんの一部分でしかありません。人の在りよう(為人(ひととなり))を生かすためには、この無意識部分をぬきには語れません。

■無意識は日常の在りようの積み重ね

無意識は日常の行動の在りようの積み重ねからできあがります。経験ではなく、そのときの自分の心のあり方や体の状態の積み重ねです。
子供などは、「どうされたのか」「どう接しられたのか」のほうが大きいと思います。

より強制・支配的に接せられた子供は、無意識的防御反応が、在りようとして身につきます。潜在的に警戒し例え相手が誰でも自分に接しよう、近づこうとしたときに居着き(緊張収縮)が強く現れます。

本人が意識しているのではなく、無意識に居着くのですからやっかいです。
意識的には「味方だから安心リラックスしよう」と思っても、無意識は人を警戒します。
大人になっても変わりません。
これは大きなストレスの原因であり健康にも影響します。動作も直線的で力ずくとなります。
このことを武道では「無意識反射」といいます。

※「居着き」は判断して分類優先の傾向が強くなる
「無意識反射」のある人は傾向として警戒癖(無自覚)があるため、感じ受け入れるより先に「判断(理性)」を先行させる傾向が強くなります。
絵そのものよりも作者や歴史(判断)、音楽そのものよりもカテゴリー(クラシックなど)を(分類)先に知りたくなります。
絵や音楽を感じる受け入れるより,判断して分類すること優先になります。

「名探偵コナン」に登場するボケ役の毛利探偵は「誰が犯人だ」「証拠はこれだ」と犯人捜し、状況分析など考え(理性)優先になりますが、頭脳明晰なコナンは「現場の違和感」と感じる(感性)こと優先なのは面白いところです。「相棒」の東大出エリート右京さんも感覚優先ですね。

ちなみにTVも、事件が起きると「今後の対応(被害者の救済含む)」よりも、「犯人」「犯行の動機」「犯人の生い立ち」優先になっています。最近起きましたバス事故におきましても、被害者の方がどう救済(治療含む)されたのか、事故の起きやすい道路をどう改善するのかなどの本来優先すべき大切な事(未来)はさておき、「運転手」「バス会社」「事故の起きやすい道路状況」などの原因探し(過去)が優先され報道されます。
会社でもトラブルやミス、クレームなどがあったとき今後の対応・対処そっちのけで。
後でゆっくりやればすむはずの「誰の責任だ」「誰がやったのだ」と犯人捜しを最優先してしまう事もあるかも知れません。

気持ちの良い(居着かない)温泉に入っている時に、この気持ち良さの原因(天然温泉・成分などのある意味犯人)を優先して、それが分からないと「気持ち良くなれない」と思う人はまれ(うんちくマニアなど)ですね。後からゆっくり知ればいいことです。

バス事故の例でいえば、被害者の方への思い、今後同じような事が起きてはいけないという責任感、会社の例でいえばトラブルで迷惑を被っているかもしれない相手への思い、クレーム者の気持ちや被害状況、対応した人の立場や思いを感じる、当たり前ともいえる普通の感性が優先されることが本来と思います。

■自然体で受け流す極意

成長する上で、最もやっかいなのが、この「無意識反射」です。
これは、その子の持てる才能が、非常に開花しづらい状態といえます。
見た目ですぐわかる子供もいますが、一見穏やかそうでも「無意識反射」が身についてしまっている子供はたくさんいます。
人の「無意識反射」は武道稽古を行えばすぐにわかります。
ここが武道のすばらしいところで、スポーツの場合は少々の居着き(緊張収縮)があっても結果が出る場合がありますが、武道では全く技がかかりませんのですぐに居着きが見抜かれます。
日本武道の極意は「力のぶつかり合い(受け止めるor無視)」ではなく「自然体で受け流す」ことにあるからです。

仮に相手が胸を押してきたとしましょう。
そのままにしておけば、おされてしまいますし、押し返せば、まさに「力のぶつかり合い」になります。
武道では、その押してきた力を受け入れ流し、受け止めません。
すると相手は無力化するので、こちらはほぼ力は使っていないのに相手は崩れます。
この「受け流す」を「無意識反射」の強い人はできません。その場で意識的に行おうとしても、在りようが「無意識反射」である限りできずに止めてしまいます。

意図せず、ぶつかりやすい為人になっていますから、ぶつからないためには、大変なストレスを抱えることとなってしまいます。
会話でいえば、たとえいやなもの、不要なものでも、すぐ断らず、一旦「ありがとう」と相手の思いを受け入れてから断る姿勢になります。
このような受け答えの稽古も大切です。

もちろん「無意識」を稽古で変える事はできます。
しかし「無意識」ですから時間を要しますし大変です。
はじめから「受け流す」在りよう(緩み)で育つことが遙かに素敵です。
そのためには、親や指導者などの大人がが子供に対して「受け流す」在りようであることが大切な条件です。

子供に「無意識反射」などという負の遺産を引き継がせないためには、親や指導者側のありようこそが最高のリスクマネジメントです。

子供を「責めない。とがめない。非難しない」など、お互いが気持ちよくなるような言い方、触れ方で導きたいものです。