第4回 体在心知(たいざいしんち)

 「体在心知」とは”体の在りよう”を通じて”心の在りようを知る”と言う意味の武道用語です。

心と体は人間の両側面ですから、観察しやすくみえる体を知ることで、洞察しにくいみえない心の本来のあるべき姿(自然体)を具体的に悟ることが可能になります。
心と体をバラバラにとらえず「心体一致」が基本です。
道場では、この考え方が教育の基本となっています。

心体一致の教育

心にとって大切なのは”優しさ・尊敬・信頼”などの調和することで、体が力を発揮するのは”悔しさ・怒り・倒す”などの敵対することでは、心体は一致していません。
体にとって怒りの状態、すなわち緊張や力みが最強であるならば、心にとっても怒りが強いことになってしまいます。
本来、体にとって怒りに基づく緊張状態はけっして強い状態ではなく、むしろ力も弱く健康を害しやすいストレス状態です。
アニメや格闘技などのテレビで悔しさや怒りで強くなる場面がほとんどのため、その影響でイメージしにくいかもしれません。「怒り」では相手が怖がることはあっても、けっして動かす(変える)ことはできません。
体の怒りに基づくの状態は「力んで相手を強く弾く」、体の優しさに基づく状態は「自然に相手にそっと触れ繋がる」ことになります。
体験するとわかるのですが、実際は悔しさや怒りに基づく力んだ技よりも、尊敬や優しさに基づく自然な技の方がはるかに強く勝っています。
このことを身体的稽古で体験し習得していく過程で、心においても「優しさ」が強く勝っていることを学ぶことができます。
簡単に体験できますので、お子さんにとどめずご家族の方も道場で体験していただければと思います。

稽古は「勝者」ではなく「賢者」を目指す

稽古の目的は単に勝者になることではありません。
稽古すれば当然何らかの力を身につけることができます。しかし何も教えなければ多くの子供たちは身につけた力で単純に「勝者」を目指してしまいます。
稽古が勝つための力を手に入れるための手段となってしまいがちです。
そのため”悔しい・怒り・倒したい”などの感情が奨励されやすくなり、結果、先に書きましたように真の強さからは遠ざかってしまいます。
そのため稽古では「身につけた力を何のために使うか?」を何度も繰り返し教えています。
本気で相手のために力を使える人間を育成することが稽古の基本です。
相手の弱さ(力や立場)につけ込んで自分の利益をあげるための稽古では意味がありません。
ここでいう賢者とは相手を尊重し助け、協調するために力を使うこのできる真の強い人間のことです。

武道の極意は「先制防御」

道場では空手をベースに、実際の人生に生かせる人間完成を目指します。
極真としているのは、単に身体を守るのではなく、心体共に守ること、それはすなわち道理(真)を守ることであるためです。
また、自分だけを守るのではなく相手を傷つけないことも重要ですから、その意味でも道理(真)を守ることになります。

武道の極意は「先制防御」です。先(せん)をとって争いを封じ、どんな相手とも関係を切らずに繋がることを基本とします。
みえる級や段位以上に子供たちの人間としてのみえない本質的成長を願っております。