第3回 礼は「居心地」が良く気持ちいい

道場では、自らを誇り、他者を尊敬し、互いに丁寧に繋がる行いのことを「礼」と教えています。
「礼」は形やテクニックだけでは成り立ちません。
形だけでは相手が「嘘っぽく」中身がないと感じてしまうからです。
中身のない形式だけの「礼」は「窮屈さ」はあっても「気持ち良さ」は感じません。

 むしろ気持ち良くない形式だけが整った場は最悪です。
 窮屈なら人は「礼」ではなく、崩れていても「気持ちいい」方を選ぶでしょう。

反動で崩れていることが気持ちいいと勘違いするかも知れません。(非行・不良なども)
子供は正直ですから、大人のように我慢せず。気持ち良くない形式だけの「礼」のような場から逃げだすか反発したくなるでしょう。
我慢した子は我慢することが礼儀と覚えてしまうかも知れません。
居心地が悪い「礼」などありえません。
不快な場を我慢することが礼儀ではないはずです。

日本人は比較的「かたち」の好きな傾向があります。
例えば、ガーデニングで有名な英国では色彩が重視されますが、日本庭園では「かたち(空間)」が重んじられます。武芸に型があることもその傾向を現しています。
そのため形式だけが伝わり中身がそぎ落ちてしまう事が多いようです。
子供から「なぜ、そのようにするの?」と聞かれ、
大人が「(昔から)決まっていることなの」と答えては教育には不適切です。

■礼は優しさ・強さの入り口

「礼」を大切に生きることは、自分自身との関係、他者との関係を円滑にする心地良いものです。
物事を角張らず円満に進めることは至難の技です。
あらゆる接触にぶつからず、円満に繋がることは「優しさ」であると同時に「強さ」でもあります。
武術の動作は結果的に「円」でなければなりません。

「円の動き」は円形に動作することではない。
「円形」に動作することではありません。詳細は省きますが、自分の中に中心軸を固定してコンパスのように円に動くことが円をつくるのではありません。中心をつくってその周りを円形に動いても自然の在りようではありませから技にはなりません。
回し蹴りは、名前とは裏腹に回してはいけません。
TVの戦隊ものや刑事もの等で蹴っているシーンでほとんどの役者が軸足を中心に蹴り足を開いて回していますが、疲れる割にはききません。総合格闘技などでは簡単にとられてしまうでしょう。円形に動くのではなく、ある動きをすることで結果的に円形に見えるのです。
人間関係も互いに円形に動くのはおかしいですよね。これもある関係を築くことで結果的に円満に見えるのです。「ある動き」とは何か?いずれ書く機会があるかも知れませんがここでは省きます。(関心のある方は何かの機会であったときに直接聞いて下さい)
余談ですが。元々日本武術に回し蹴りはありません。

一つに大切な要素として、相手との接触に圧をかけず丁寧に繋がることが「円の動き」の前提となります。手や体での接触圧、音圧、眼圧など、相手が気持ち良く圧を感じないような調整に全力を注ぎます。むしろ包むといった方が適確です。
この接触による繋がりができれば(コミュニケーション)技はいりません。○○技のような特殊なことをしなくとも、相手は自ら崩れます。

■礼は中心から動く在りよう

日常的な「礼」のある動作を考えてみましょう。
そのためには、まず自分がどこから動き始めているかを知る必要があります。
失礼な動作、素っ気ない動作は、末端始動した結果の印象だからです。
末端とは頭・手・足のことです。例えば
 ○握手する時、手先から動き始める(失礼)
 ○握手から離れるとき手から離れる(素っ気ない)
一度確認をしてみてください。
どんなに相手に思いを込めているつもりでも伝わりませんし、むしろ意に反して不快を伝えているかも知れないのです。
挨拶(お辞儀)を顔、場合によっては顎から動き始める子供や新入社員がいれば注意するでしょうし、買い物先の店員であれば気分が悪いはずです。
全ては中心から動作し始めることが「礼」の在りようとなります。
中心とは、そのときの姿勢によってことなりますが、おもに下腹と考えて差し支えありません。
お辞儀の角度で相手に丁寧さが伝わるのではなく、中心から動き始めることが丁寧な印象となります。
握手から離れるときも中心から離れ始め、手や顔を最後まで残しておけば、素っ気ない印象から「分かれがたい」相手を大切に思う印象が伝わります。
中心(胴体)が動かず、末端(顔手足)しか動かずに話せば内容は軽く伝わります。
顔が動き過ぎる人の話は内容にかかわらず気持ちに響きません。

武田鉄矢さんがいい例(失礼ですが)で、大変いいお話しをされているのに軽く見えるのは、顔が動き過ぎることが一因です。ある間違った動作を起因として顔が動いています。
美空ひばりさんは、熱唱されても、顔、眉がほとんど動きません。

中心から動作し、丁寧に相手と繋がる在りようが「礼」の所作です。この所作があれば、一切の圧力はいりませんし、むしろ圧力はコミュニケーションの邪魔にしかなりません。

■礼をつくせば人は動く

教育指導のために圧力・強制力はいりません。どのような素晴らしい内容でも気持ちよくないものは、結局「不快さ」以外残りません。
子供に対しても「礼」を尽くせば必ず伝わります。伝わらない場合も圧力に逃げずに自分の在りようを振り返る(手先・口先など)ことが大切かと思います。
これからも相手によって変わることのない「礼」の在りようを身につける稽古を大切にしてまいります。